昔、見た映画で『黒い家』という邦画がありました。当時、ホラーブームでこの作品もすこぶる怖い物だったのを覚えています。最近、ヒットした小説に『変な家』というやはりオカルト物の小説がありました。その後、映画にもなったヒット作品です。
詳細はここでは明記しませんが、ある家の間取りが通常の物ではなく、設計した人物が意図して行った物だった。1Fと2Fの間取りを重ねる事で、最初に感じた違和感の理由が明るみになります。
その間取りの秘密から過去に凄惨な事件があった事が分かります。そして現代の今も更なる殺人事件が続く事になっていきます。物語の主人公が知人の建築士と共にそれを解決するといった内容の物でした。巷でも話題になった小説の映画化はとても上質のエンターテインメント作品のように思いました。ですが私はホラー作品が、どんな物であっても好きという訳ではありません。むしろ怖い映画は苦手な人間です。観劇してそれが面白ければ拍手するといっただけの事だと思います。
私には以前から不思議に思っていた事がありました。何故、日本人はホラー映画が好きなのか?という疑問です。正直な所、何が悲しくてお金を払ってまで、あえて怖い思いをしなければならないのか?そんな疑問が幼少の頃からあったからです。
世の中には怖い作品が苦手な人も沢山いれば、逆にどうしてもホラー物が好き、むしろ怖ければ怖いほど素敵にいい!そう仰る方も、かなりの数いらっしゃるのだと思います。だからこそサスペンス、ホラー作品のドラマや映画が昔から多くあったのだと思います。それを支持する方が多いそれ故に、今では一つのジャンルとして確立したのかもしれません。
では、何故、人は怖い話が好きなのか?それが苦手な側の自分が想像する事なのですが、思うに人は今いる現実とは異なるフィクションである世界に飛び込みたい。今いるリアルのその場所から逸脱したいその想いから、そのジャンルに魅かれる想いが生まれるのかもしれません。それは昨今、人気の異世界物が舞台になったアニメ、映画等とも重なる事なのかもしれません。
怖い話とは別に、人は現実の様子とは異なった造られた仮想の創造物に浸りたい、触れたい、体験したいのではないか?そう思う事があります。例えるなら『不倫』です。昨今、芸能人のそんな話題から大きな問題に発展するケースが目立つように思います。一個人のみならず、一企業も交えての大きなそれは、まさに一つの『事件』です。そこには世間の不貞、不実の様子に対する嫌悪感からSNSを通じての辛辣な言葉の交差、或いは攻撃。そこから大きな変化に発展する事も時に見られます。それまで普通にテレビ等で見ていた人気があった著名人が、ある日、ある時、理由も分からず、突然、『消える』、そういった事が数多にあるように思います。消えるという事。それは社会的にも物理的にも世間の目から消える、見なくなる、或いは存在そのものが無となるといった事柄です。不倫は文化という言葉も過去にありましたが、現状、不倫は明確に不実なそれとして悪しき振る舞いとして世間は認識しているように思います。ですが、それに反して不倫をテーマにしたドラマ、映画がお好きな方がとても多いようにも思います。
現実とは異なる仮想のそれなら、つなり創造物であるフィクションの物なら人は何故か惹きつけられる感があるように私には思えます。
ホラー小説、映画等から離れてると思われる向きもいらっしゃる事と思います。ですが、その二つの共通項は現実では決してあってはならない物。もしくはこの世にあらざる得ない物、或いは禁忌とされる物。等々が世間の中での多数派の意見のようにも思えます。だからこそ、映画、ドラマといった人の想像からの創造物である物が、疑似体験とリンクさせ人を魅惑的に引き付ける感があるのではないか。私にはそんな風に思ってしまう時があります。
現実と仮想。幽霊、物の怪の類はこの世にはいないと私個人は思っています。いないからこそ、それを題材にした物語に魅かれる方も多くいるのではないでしょうか。怪異、怪談が、ホラー物の作品が人気なのは現実にはないフィクションだから。嫌悪される不倫の類の物語が人気を得るのは、現実では『禁忌』のそれだから。
それが存在しない物だから、或いは触れる事が出来得ないから、それをする事が不実とされる事だから、だからこそそれに惹きつけられるのかもしれません。フィクションの魅力とは、エンターテインメントの世界ではそれは人が夢想する『夢物語』。現実には決して現れない物だからこそ、それ故に人は惹きつけられ、それに焦がれる想いが生まれるのかもしれません。