僕の知り合いの女性に、忌憚なくはっきり言うと『鉄人』がいます。文字通り、鉄人。鉄の女性、鋼の女と言ってもいいと思う。その人を誰かがリモコンで自由に操るなんてそれは漫画の中の世界であって、彼女を操ろうなんて多分おそらく神という存在が仮にいたとしても、そんな神とやらでも彼女をどうこうするなんてまず無理だと思います。彼女は自分の意志で行動し自分独自の概念で先の未来へと歩みを進めてる。誰かの言いなりになんて間違ってもならないと思います。僕と彼女の関係は文字通り知人であり、彼女の友人の一人、それ以上でも以下でも無い関係です。だからこそそれなりに長く続いてると言ってもいいと思ってます。そんな彼女を何故、鉄人と呼ぶのかというと、彼女から実際に自分の身に起きたあるエピソードを聞いた事からそう思うようになったんです。彼女は生まれは日本の生粋の日本人。年齢不詳のすこぶる付きの妙齢の美人。日本のとある有名、私大を卒業ののち、ある金融メーカーに就職し、そこで三年ほどビジネスの基礎を身に付け、先は順風満帆と思われていました。そんな他人の思惑くを打ち破るかのようにある時、いきなり彼女は渡米しました。行き先はNY。向こうでは日本で培った経歴を考慮されとある有名な商社へと入社。晴れて日本から飛び出しNYに滞在のニューヨーカーに。と、ここまでは華やかな話で終わる事となる訳です。その当時、僕は知人を介して彼女と知り合いました。互いに独り身の気楽な関係。そこにはロマンスないきさつ等、微塵もなく。というより先の言葉通り彼女のパートナーになるなんて生半可な男じゃまずは無理だと思います。たまに会ってはワインを飲みながらチェスをしては過ごすそれだけの間柄。でもそこで彼女から様々な話を聞くのが楽しみと言えば楽しみな時間でした。その日も2人でワインを飲みつつチェスをしていました。その渦中、ゲームの中盤に差し掛かろうとしていた頃、彼女はふと静かに呟きました。「あたし、こないだ殺されかけたのよ。ブルックリン大橋の袂で」と、そう口にする彼女。僕は心中、これ、かなり飲んだかな?ワインも結構、アルコール度数、高いからな。つまりその時の彼女の言葉を僕はまるで信じちゃいなかったんです。「じゃあ、今、僕の目の前にいるのは幽霊か何か?ちょっとお酒が過ぎたかな」。「NO」。「え?」。「あの時NOと言ったからわたしは今、生きてるの」。「どういう事?いきなり過ぎて訳が分からないよ」。「知ってる?NYってアメリカの犯罪件数、合衆国でトップだって事」。「それはなんとなく知ってるよ。二位はLAだろ?」。「そう。どこもさして変わらないとは思うけどね」。「で、何があったの?」これ、話半分で聞いてなきゃバカ見るな。内心、そう思いながら僕は彼女に話を促した。「その日は仕事も遅くなってかなり時間も遅かった。別にそれはよくある事なんだけど。でも、その日はいつもと違って月明りもあまりなく暗い夜だったの」。「それで?ゾンビにでも会った?」。「それならまだマシ。彼らは動きも散漫で走るのはあたし得意だったから、普通に逃げて終わり」。「モンスターより怖い物に出会った訳だ。それって…」。「人よ。まだ若い少年にも見えるただの子供。その子がいきなりあたしの目の前に出てきてリボルバーを突き付けた」。「ハンドガン、向こうでは割と簡単に手に入るらしいね?」。「銃社会の弊害の極み。法的に完全に規制されていないんだから少年の銃犯罪が無くならないのは当然よ」。「で?」。「後はお決まりの言葉。動くな!持ってる有り金、全部、出せ!。そう彼は言ったわ」。「怖いね。さすがアメリカだ」。「ニューヨークで女が一人で有名企業で働くのって普通じゃ絶対に出来ない。ましてあたしは黄色人種だしね。それって向こうじゃかなりのハンデになるの。でも、そこからあたしは今のポジションにまで上り詰めた。MBAの資格も必死で勉強して取得した。おかげで女でも向こうでなんとか通用したわ。持つべき物はライセンスよ」。「で、彼の前で泣きマネでもしたの?」。「そんなの死んでもしない。あたしはただ一言、こういったの」。「なんて?」。「NO!」。「それだけ?」。「それだけ。でも、自分でも信じられないぐらい圧の籠った声だったと思うわ。当然じゃない?あたしが必死で働いて得たお金を何が悲しくてリボルバー、一つで渡さなきゃいけないの?」。「銃がモデルガンだと思った?」。「それもNO。向こうじゃ玩具なんてむしろ大人の持ち物だしね。彼の銃が100%本物なのは疑ってはいなかったわ」。「で、彼はどうしたの」。「10秒ほどあたしを睨みつけて、何も言わずに去っていったわ」。「言ってもいい?」。「何?」。「僕なら迷わず僅かな有り金、全て渡して助けを斯うよ」。「別にそれが悪い事とは思わない。でも、お金を渡した瞬間、相手が銃の引き金を引くケースもあるのは知ってる」。「肝が座ってるよ、君。さすがニューヨーカー」。「茶化さないで。力で劣っている女が男と同じ一線で戦うには、もうメンタル強化するしかないの。日本にいた頃からそれは分かってた。戦争が終わっても男女平等なんてあり得ない世迷い事だって事ぐらい」。「あの本、知ってる?今、コメンテーターやってるその人の元、政治家の父親が書いた、NOと言う…」。「NOと言える日本。石原慎太郎氏と当時のソニーの代表だった盛田昭夫氏との共同著書。学生時代、読んだわ。1989年、発刊だから昭和最後の年、そして平成最初の年に出た本。当時、日米貿易摩擦の渦中、その世情に置いて歯に絹着せぬ物言いの2人がかなり辛辣な事を記してる。今でも有名な本だと思うわ」。「あの本を、いやあの本のタイトルを思い出したよ、君の話を聞いて」。「それは光栄ね」。「今、世界的に当時と似たような状況だろ?いや、もっと切迫した状況なのかもしれない。アメリカが自国優先のために他国へ向けて理不尽で高圧的なプレッシャーの連鎖が続いてる」。「下手すれば戦争にもなりかねないわね。歴史上、最悪最大の。『彼』ならそれを厭わないかもね」。「その戦争に負けた日本が数十年経っても属国扱いで、つまりは…」。「高圧的で理不尽な言動に対してNOとは言えない」。「それ。このままじゃ色々、怖いと思ってね」。「まっね。あたしもアメリカで働いてはいるけど人種差別は普通にあるし、プレジデントに対しても正直、真向から賛否に分かれてる。その事が言いたいの?」。「と言っても僕たちは一般人だし、別段、何かしらどうこうは絶対に出来ないけど…」。「出来ないけど、でも気持ちの観点では外部からの過度なプレッシャーに対してYESとは決して言いたくは無い。でしょ?」。「ごめん、お酒の席で話す事でもないか。でも、最悪の事態にだけはなって欲しくはないとは流石にそう思うよ。だからこそ君の、その…気概のような物が、今、必要なんじゃないかって、そう思っただけだよ」。「なんの理由もなく否定の言葉なんて、あたしだって口にはしないわ。あの時の事だって、お金を渡したくは無かっただけ。ちゃんと理由はあるわ」。「理不尽な言動に対する理に叶った言葉って訳か。でも、それが出来ない人が殆どだと思うけど」。「だからこそ重みがあるんじゃない?『NO』という言葉の中には」。「なるほど、それこそ説得力のある重い言葉だよ。さて、それはそれとして」。「何?」。「チェックメイト」。「…待って」。「待ったなし。今日は僕に運があったみたいだね」。「まだ終わってないわ。勝負はわからない」。「と言うと思ったよ。流石、NOと言える数少ない日本人だ」。と、その日の僕らのチェスとワインの懇親会は終わりました。最後は彼女は切り返す『道』を見つけられず僕が勝ちました。でもゲームでは次の対戦がまたあります。ですが世情の動きは果たしてリセットをする事は、まず出来ない。『NO』と言う言葉を他者が他者に対して口にするには彼女と同じく、頑なな信念があってこそ出来得る事だと思います。そして米大統領交代後の昨今、大小様々な事変が起こる都度に、一般人の一市民である僕も、僕なりに色々と考えています。いえ、考えざる得ない状況に過度に憂慮してる気もします。本当に必要なのは個人の気概というよりも相互に話し合いが出来る寛容さなのだとも。彼女の事を最初、鉄の女と言いましたが、あれは言い方が悪かったとも思います。彼女は日々を懸命に生きてる、ただの妙齢の女性に過ぎない。すこぶる付きの美人には変わりはありませんが。チェスの方はお酒さえ飲んでいなければ僕の方に少しだけ分があるみたいです。
何はともあれ、人の内面も世界のそれも常に平穏で平和裏であって欲しいです。それが今はNOと言えない、いえ、言いあぐねてる一個人の心からのそれは願いです。NOと言うその代わりの代替とされる言葉、そのやり取り。人も世界にも必要なのはそんなコミュニケーションなのかもしれません。何かしらのプラスとされる生産性は対話から。それが僕のNOの後に記す代替とされる言葉です。