世に星、数多にあれどその姿形、人のそれを維持したその上で天空の彼方から人に何かしらの力を齎すそんなきら星、そう呼んで久しい存在は稀な事と私自身は思っています。
巨星、堕つ。2025年6月3日早朝のその日、元、読売巨人軍ジャイアンツの選手であり、同チームの監督であり、また巨人の終身名誉監督としてチームの象徴のみならず、日本野球界の象徴とも呼ばれていた長嶋茂雄さんが肺炎のためお亡くなりになりました。
2004年、脳梗塞で倒れられてから、手術、リハビリの末、命に別状なき状態にまでに快復されました。ですが、体の右半身に麻痺が残る後遺症から思うように歩く事や喋る事に難がある状態になられたという事はニュース等で知ってはいました。その事を多くのファンの方から心配の声があがっている事も聞いていました。
私は関西在住の身です。殊更、巨人ファンだったという訳ではありません。ありませんが、ですが野球が、またスポーツが好きな一人として長嶋茂雄さんという存在は理屈等は抜きにして、それは言葉には出来ない大きな存在だったと思います。
訃報の後、報道番組などでコメンテーターの方がこう仰っておられました。「長嶋さんは昭和を象徴するスーパースター」だと。その言葉をスポーツ関係者の方々のみならず数多くの方が言われてるのをニュースやSNSなどの呟きで聞いては、自分も同じく頷く物がありました。
リアルタイムで長嶋さんのご活躍を見ていた世代ではありませんが、幼少の頃より野球番組等で過去の映像を見ていました。巨人ファンでなくとも、王貞治さんのホームランを見ては一喜一憂していたのも覚えています。もはや伝説とも言える天覧試合の長嶋さんのご活躍も映像のみならず学校の教科書等で見た事も覚えています。いわゆるON時代の台頭。今では考えられない奇跡とも言えるV9の立役者。日本のスポーツ界を輝かせたその筆頭の方のように私には思われます。
またテレビなどで芸人さん方が長嶋さんの物まねをされる事も多かったと思います。そういう意味で大衆に愛される身近な存在であったようにも思います。訃報の後、息子さんである長嶋一茂さんが情報番組で仰っておられた言葉が印象に残っています。「父の人生は野球に限らず終始、戦いの人生だった」と。野球人として選手としてチームに貢献し、また監督として二度、読売巨人軍という特別な存在を牽引されていた。そして病に臥せってからはご自身の病気に対し屹然と向かいそれに対しても戦っておられた。稀に映像でそのお姿を見ては私自身もそう思う事がありました。その言葉は或いは誰に対しても言える言葉なのかもしれません。生まれて生きてそして死を迎える。そんな全ての者に差す自然の理(ことわり)。長嶋さんが野球で活躍され、また病の身でそれに向き合っておられる様子を見ては、多くの人が、叱咤激励され、鼓舞されていた感があった。或いはそうだったのかもしれません。
文化功労章と国民栄誉賞を受賞された唯一の方。人々に笑顔を齎し、また勇気を与えたそんなスポーツ界の偉人。悲しみと同時に大きな拍手を持って感謝したい想いが私にはあります。その体躯が失われても数多の方からのその想いは、永遠に不滅のそれなのかもしれません。