新年が明けてひと月が経ち今年も早くも二月になりました。月の異名で言うなら二月は如月。殊更に寒さ厳しい月とされ衣を更に重ねて着るという意味があるそうです。
月の異名とは旧暦に基づく物で厳密には如月は現在の新暦で言うと三月頃になると言われています。二月と言えば節分です。節分とは季節の分かれ目を表す物であり暦の上では冬の終わりを指します。
二月三日が節分です。その翌日の二月四日は立春とされ新年度の始まりであり、春が立つというその言葉通り『立春』から春が始まるとされています。節分が来て冬が終わり、翌日の立春から新たな春が始まる。その季節の節目である二月三日、節分。
古来よりその日に豆まきをする風習や、恵方巻を食べる事が習わしとされています。恵方とはその年の吉を呼ぶ方位であり、それは年ごとに異なります。厄を払う方位とされ今年の恵方(方位)は東北東とされてます。私も子供の頃から節分には豆を巻き、巻き寿司を食べていました。
その巻き寿司を食べる事には、やはり災いを払い幸を呼ぶという意味があり福の象徴である七福神の七という数字から中の具材は主に七つの食材を入れる事が主流とされていたようです。高野豆腐、かんぴょう、キュウリ、伊達巻(だし巻き卵、厚焼き卵)、うなぎ(アナゴ)、桜でんぷん、椎茸。昔はその七種類を巻き寿司の具材に使い厄除けとされ吉を呼ぶ物として食していたそうです。令和の今では恵方巻の風習も変わり、サラダ巻きや海鮮巻き、カツをいれた物といった多彩な物になっていきました。
中身は変わっても、巻き寿司の由来は特に変わる事なく。その年の方位を向き口を開かず黙って太巻きを食べ、またその間に願い事を心中、唱えればその願いが叶うとされています。あくまでそれは習わしであり、現実のそれは個人個人の考えから、また努力、鍛錬から自身の運をきり開いていく物だとは個人的に思います。
ちなみに恵方巻を切らずに太巻きのまま食べるのは縁(えにし)を切る事を、また福が逃げる事を厭う事から切らずに食すと言われています。ですが正直、巻き寿司をそのまま黙して食べるのもかなりしんどい事とは思います。私は幼少の頃は食べやすいように小分けして切った物を食べていた年もありました。またその年の恵方とされる方位も別段、向く事無く、どうかすれば話をしながら恵方巻を食べていました。厄払いも吉を呼ぶも何もない振る舞いだったと今では思います。
年を重ねた今でも、さすがに小分けに切る事はありませんが、その方位を向き願いを唱えながら黙して語らず恵方巻を食べる、といった正当な食べ方をしていた事は本当に稀だったように思います。
日本にとってクリスマスがクリスチャンのための祭日とは異なりイベント的な祭典として家族や友人達、また恋人達が盛り上がるための日であるように、節分を季節の節目の大事とし、恵方巻を習わしの通り正しく食べる事をしている方も多分、少数派なのかもしれません。
令和六年。その年の初日である元旦から大きな震災が起こり、また大規模な事故が起こり、先行きがあまり好ましくは無いようにも感じる本年です。せめて今年だけは恵方巻を食べる時は、本年の恵方(方位)である東北東を向き、また黙ったまま小分けして『縁』を切る事のない太巻きを、意識しながら食べようと思います。願わくば本年が幸、多いそんな年である事を祈って。