元旦、初日から様々な事があった令和6年も早くも3月に入りました。
3月と言えばまず思い浮かべるのは卒業です。学生時代から遠く離れた今ですが、この時期になると卒業という言葉を思い出します。
『卒業』というタイトルの歌も幾つかあったのを覚えています。26歳で夭折した時代の寵児と呼ばれた男性ミュージシャン。
ポニーテールが印象的だった、彼女の初期のドラマでは鋼鉄のヨーヨーを武器に戦うアクション物の作品にも出演されていた女性タレント。歌唱力は上記のお二人方よりは若干、落ちるものの、その容姿の可愛らしさで人気だったアイドル。
ただの偶然なのかもしれませんが、同じ年の春頃の時期に同じタイトルの曲を世に出された御三方。卒業をテーマにした歌は数多くありますが、ほぼ同世代という事もあり、その方々の曲が今でも思い出として記憶の中に強く残っています。
一つの場所から次のステップへと移るその分岐点。その度ごとに向上していくであろうその節目節目に在る言葉。卒業。卒業式の場で涙を見せなければ冷淡な方とも特には思いませんが、歌詞の中にそのようなフレーズがあった曲。
学びの場で教師に束縛され自由を奪われた、そんな想いを曲に込めた卒業曲。当時はカリスマと呼ばれ、私なども心酔していたミュージシャンの曲です。自分も年を重ね、今ではその想いは本当の意味での自由だったのか?ついそんな事を考えてしまう事もあります。卒業を幾度か繰り返し、その毎に失敗の回顧と共に後悔の念をを繰り返し、二度と同じ過ちは繰り返す事はしないという思いから結果、向上に繋がっていったような気もします。
誰かの著書の中で書かれていた言葉に、成功から得る物が1だとしたなら、失敗から得る物は或いはその倍の価値がある。それは見方によってはただの言い訳にも思える物ですが、その言葉もこの時期に思い出される物です。
一つの終わりの寂しさも、次に来るであろう未来への光、その期待感は若人のそれならではの成長の証なのかもしれません。そんな事を思う自分も大概、若き日のそれから遠ざかった老成した身です。それ故の感情なのかもしれません。
年を重ね失う物も数多にありますが、逆に失ったが故に得た物もそれはやはりあると思います。失敗した事からのその後悔。その想いが強ければ強い程に次の場に置いてはその失敗をしない事に繋がる大きな因子。
それは決して自慢できる話では決してなく、後になって自身に対して気づく気付きのようにも思います。卒業はそのステップごとの終着点であり、また新たに始まるスタートラインである始点でもあると思っています。それは何も学び舎におられる若き人に限る事なく、もしかしたら一つの分岐点から次の分岐点へと移る『卒業』は、或いは一生、続いてゆくのかもしれません。桜の花びらが散る様子を見るこの季節、一つの別れと出会いの結び目を見るかのようにも思います。卒業の曲を聴く機会の多いこの時期に、回顧的にかそんな事を思う自分がいます。
『あと何度、卒業すれば本当の自分にたどり着くのか』。そんな歌詞を昔の卒業をテーマにした歌の中で聞く事がありますが、それは誰にも分からぬ、ですが誰しもが思う永遠の命題なのかもしれません。